あれは、小学校最後の夏休みだったと思う。
母親の実家の伊達に帰省していたときのことだ。
その頃、ガンプラは社会現象にまでなって、空前絶後の売れ行きだった。
注文しても生産が追いつかず、半年くらい待たされるのは当然だった。
伊達は、俺の住んでいた故郷よりかは人口がはるかに多く、子どもの数も多い。
しかし、何故かこの伊達という街は流行にうとく、俺の故郷で在庫切れになりだした時も普通に買えたものだった。
流行にうといこの街にも、帰省したときにはちょうど空前のガンプラブームに湧いていた。
「田舎もんめ、やっと気がついたか」と舌打ちしながらも、帰省してからほぼ毎日、朝一と夕方、町中の当時一番大きいデパート「長崎屋」のおもちゃ屋を行ったり来たりして、入荷しないかチェックしていた。
何日か経ったときに、地元のお兄さんたちの話しているのを小耳にはさんだ。
「明日ガンプラ大量に入荷するらしいぜ」
こりゃいいこと聞いたぞ!と次の日、高鳴る心臓の音を抑えつつ、勇み足でおもちゃ屋に行くとまだ物は置いていない。
まだなのかと店内をうろうろしていると店長らしきおじさんが「君たち早く来なさい」と声をかけてきた。
近くにいたお兄さんたち3〜4人がおじさんについていったので、俺もつられてついていってしまった。
外の駐車場につれていかれて、何をするのか待ってると、一緒にいたお兄さんたちはどうやらバイト仲間らしく、退屈になったのか、仲間どうしでじゃれあって、遊びだしたのだ。
俺は知り合いがいないので、ただぼーっと突っ立って待っていると、「君バイトの子かい?早く手伝って!」というなり、たくさんの箱が入ったダンボールをどん!と、俺に持たせるのである。
「それ、お店に運んで!早く!」
「?!……」
店に向かいながらダンボール箱の中を見ると、なんとそこには大量のガンプラが入っているではないか!!!!!!!!!
しかも、中には、このど田舎の長崎屋まで来て血眼になって探していた「300円の量産型ザク」が入っているではないか!!!!!
ここで声を上げては、バイトでないのがバレてしまうので、ポーカーフェイスを決めて、お店の中に箱を置いた。
と同時に、箱からサッと1箱「量産型ザク」を抜いた。
お店の店員さんがダンボールの箱から、ガンプラを出すやいなや、まるで池の中に餌をまいたときに池の底から餌を求めてものすごいスピードで湧いて出てくるコイのように、子ども達の腕がわらわらと飛び込んできた。
そんな、必死になって群がる子ども達を脇に見て、一人悠々と量産型ザクを持って、レジへ向かった俺であった。
というのが、俺の小学校最後の夏の思い出なのであった。
おしまい
この話には続きがあって、ずるいことして買ったあの量産型ザクは、当時一緒にガンプラ作っていた友達「ヤブシ コウ(仮名)」に、「サフ(サーフェイサー:下地剤)吹いてやるから」と言われて、頼んだら、サフ吹きすぎて、パーツドロドロに溶けて使い物にならなくなってしまったのさ。
まったく、ずるいことするとろくなことにならないね。
ちゃんちゃん。